瀬戸内寂聴さんは以前から気になっている作家です。
約10年ほど前に
瀬戸内寂聴訳の「源氏物語 全10巻」を購入したが、登場人物が多すぎて人物名を覚えるのが嫌になり少し読んで途中で放り出したままになっています。(今後完読したいと思っていますが)
最近、寂聴さんの「残された日々」というテーマで新聞連載中の最新のエッセイを読んた。
要約:「もうすぐ
97才になる。自分の命をもてあまし気味だ。長生きして一番切ないのは自分より若い知人や身内の死を見送ることである。行ってお経も上げてやれない。ペンを持ったまま原稿用紙の上に顔を伏せて死にたいとばかり念願している。行きたいところへは大方行った。着たいものも殆ど着てしまった。たべたいものも大方食べた。結構な人世だったと思う。本音を言えばもう生き続けるのがしんどくなっている。しかし生きると言うことはその存在が誰かの役に立っているということなので、ひしひしと自分の命の重さが実感出来る。この命役に立っているならと、そんな毎日をまだ生きている。」
命とは何なのかということを考えさせられた。
NHK特集で「宇宙地図の作成」に関する番組を見た。
天文学に拠れば,地球のいる太陽系は天の川銀河団に所属し、そういう銀河団が1000個以上集まって乙女座銀河団、更に30個集まって火の鳥の形をしたラニアケア(ハワイ語で無限の天空という意味)超銀河団を形成する。その大きさは5億光年で2014年に発見された。この銀河団も更に大きい未発見の銀河団に所属するという。どうも宇宙は無限らしい。
無限の宇宙から比べると気の遠くなるような人間の小ささ。スティックセニオールの花から飛び立った蝶と少しもかわりません。
重量軸 :「人間の命は地球より重い」福田赳夫(90才)
時間軸 :「命とは人間が持っている時間のことです。例外はあるにしても命の長さ
は問題ではない」 日野原重明 (105才)